進路用紙を握りしめたまま夕立に諭される、あの放課後の感覚。高校生のころにしか存在しない時間が、31音のなかに息をしています。
全国高校生短歌大会(短歌甲子園)は、盛岡を舞台に毎年開催される高校生のための短歌の全国大会です。
この記事では2012年(第7回)から2025年(第20回)までの受賞作品から20首を厳選し、編集部が一首ずつ丁寧に読み解きます。
青春の輝きと痛みが詰まった言葉を、ぜひゆっくり味わってください。
未来と進路を詠んだ高校生短歌5首
大人になることへの憧れと恐れは、高校生の短歌に繰り返し現れるテーマです。
「進路」「東京」「十八歳」——そういった言葉が31音に入るとき、まだ見ぬ未来への緊張感がひとつひとつの文字に宿ります。
進路の重さをそれぞれの言葉で捉えた5首をお楽しみください。
靴ひもの結び目ばかり気にしてる
進めぬ理由は他にあるのに
第11回全国高校生短歌大会公式サイト(2016年)
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「靴ひもの結び目ばかり気にしてる」という上の句は、動けないでいる人物が靴ひもに目を落とし続けているという場面を切り取っています。「ばかり」という副助詞が、繰り返し同じところに注意を向けていることを示し、立ち止まったまま時間が経過している感覚を伝えます。靴ひもを直す行為は出発の準備のはずなのに、それが止まりの理由になっている逆説が静かに効いています。
「進めぬ理由は他にあるのに」という下の句は、主体自身が気づいていることを明かします。靴ひもではなく、もっと別の何か——進路の不安、自分への自信のなさ、踏み出すことへの恐れ——が実際の原因だと分かっている。それでも靴ひもを見続けているのは、本当の理由に向き合うよりも、小さなことに集中している方が楽だからでしょう。
「のに」という語尾が独白のトーンを作っています。誰かへの説明でも告白でもなく、自分の中だけで完結した気づきとして提示されているところが、この歌の静かな切実さを生んでいます。前に進めない自分を責めるでも励ますでもなく、ただ観察している——そのまなざしの誠実さが読む者に伝わります。
心だけ十八歳に追いつかず
「自立」の蔓延るオトナ禍にいる
第17回全国高校生短歌大会公式サイト(2022年)
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「心だけ十八歳に追いつかず」という上の句は、法律上の年齢と内面の成長のズレを端的に示しています。身体や年齢は18歳になったのに、心はまだそこに追いついていない——「追いつかず」という動詞の選択が、自分では制御できない時間の流れと、置いていかれる感覚を表しています。
「『自立』の蔓延るオトナ禍にいる」という下の句に、この歌の独創的な比喩があります。「オトナ禍」という造語は、コロナ禍の「禍」をそのまま転用したもので、大人になること・自立を求められることを、蔓延する感染症に見立てています。「自立」を引用符で括ることで、その言葉自体への疑問や違和感が示されています。
「蔓延る」という動詞が、自立の要求が社会に広がっていることを流行病のように描いています。あたかも外からやってくる圧力として大人の規範を経験している、という感覚が伝わります。造語の大胆さと、その言葉に込められた心理的なリアリティが共存している一首です。
社会へと粒子のように投げ出され
この力場で生きろと言うのか
第18回全国高校生短歌大会公式サイト(2023年)
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「社会へと粒子のように投げ出され」という上の句は、卒業や就職などで社会に出ていく経験を物理用語で表現しています。「粒子」とは物質の最小単位であり、個人がその小ささで広大な社会に放り込まれるイメージを作っています。「投げ出され」という受け身の動詞が、自分では選んでいない、押し出されるような感覚を示しています。
「この力場で生きろと言うのか」という下の句では「力場」という物理学の概念が登場します。力場とは、ある場所に存在するだけで力を受ける空間のことです。社会という場は、入った途端に目に見えない圧力や引力がはたらく——そこで生きていくことを要求されているという問いが、疑問文の形で投げかけられています。
「言うのか」という語尾は問いかけであると同時に、戸惑いや抵抗感も含んでいます。ただし感情的な叫びではなく、冷静な観察として提示されているように読めます。物理の語彙を使うことで、社会の構造を客観的に見ようとする視線が伝わり、それがかえって孤立感を際立てています。
半額のシールの貼られる前にただ
「選ばれたい」と東京を睨む
第20回全国高校生短歌大会公式サイト(2025年)
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「半額のシールの貼られる前に」という上の句は、スーパーの値引きシールを比喩として使っています。定価で選ばれなければやがて値引きされる商品——その比喩を自分に当てはめることで、就職や進学の場で「選ばれる側」に立たされている高校3年生の焦りと自己不信が浮かび上がってきます。比喩の選び方が日常的でありながら、その含意は深く切実です。
「ただ」という副詞が、願いの純粋さと無力感を同時に表現しています。複雑な戦略や計算ではなく、ただ選ばれたい——その一点だけが残っている状態のようです。「選ばれたい」という言葉は受け身であり、自分では決められない立場を認めています。
「東京を睨む」という結末は、地方の高校生が首都を見据えるイメージとして機能します。「見る」でも「見つめる」でもなく「睨む」という強い動詞が、ただの憧れではない複雑な感情——羨望、焦り、対抗心——を表しているように読めます。地方と都市の距離感が、この一語に凝縮されています。
バス停で進路用紙を握ってる
走れと諭すように夕立
第20回全国高校生短歌大会公式サイト(2025年)
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「バス停で進路用紙を握ってる」という上の句は、状況をそのまま切り取ったような描写です。握っているのは「持っている」ではなく「握っている」——この動詞の選択が、その紙を手放せない、あるいは手放すことを恐れている緊張感を伝えています。ただそこに立っているだけなのに、指先まで力が入っていることが伝わってくるようです。
下の句「走れと諭すように夕立」は、自然現象に言葉を与えた擬人化です。夕立はただ降り注ぐだけですが、「諭すように」という副詞が介在することで、まるで天から背中を押されているような意味合いが生まれます。「諭す」という言葉には優しさと圧力が同居していて、雨のそれと重なります。
上の句で動けずにいる主体が、下の句では自然に動かされていく——この構造が、高校生が進路という問題の前に立ちすくむ姿と、それでも時間が動き続ける現実の両方を31音に収めています。夕立が背中を押してくれる存在として機能しているのが、この歌のやさしさと読めます。
友情・仲間との時間を詠んだ高校生短歌5首
毎日顔を合わせる仲間との時間は、後になって振り返ると取り返しのつかない輝きを帯びています。
部活で流した汗、口に出せなかった一言——高校生の短歌が捉えた仲間の瞬間は、大きな言葉よりも小さな行為や感覚の中に宿っています。
直角の定規にぴたりと当てはまる
そんなキレイな私じゃないの
第7回全国高校生短歌大会公式サイト(2012年)
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「直角の定規にぴたりと当てはまる」という上の句は、完璧に正確で隙のない基準を示す比喩として機能しています。定規の直角は誤差のない正しさの象徴であり、それに「ぴたりと当てはまる」存在はあらゆる意味で整っていることを示します。誰かから期待される姿、あるいは理想像として提示されたもののイメージと読めます。
「そんなキレイな私じゃないの」という下の句は、その期待に対する静かな否定です。「そんな」という指示語が上の句を受け、「キレイな私じゃない」と主体が自分を語ります。「じゃないの」という語尾は告白でも叫びでもなく、淡々と事実を述べるような口調で、自分をありのままに認める落ち着きが感じられます。
仲間や他者の目に映る「キレイ」な規範と、自分が実際にそうではないという認識のズレ——それを誤魔化すのではなく、はっきりと言葉にしているところに、この歌の誠実さがあります。自己をまっすぐに見つめる視線が、2012年の高校2年生から届いています。
立体の模型を箱に詰めたような
ケンカした後の心の隙間
第12回全国高校生短歌大会公式サイト(2017年)
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「立体の模型を箱に詰めたような」という上の句は、三次元の形状を平面の箱に収めようとするときの、どうしても生じてしまう隙間をイメージしています。立体物はその形状ゆえ、箱の底や角にどこかしら余白ができる。きちんと収まらない、うまく整理できないもどかしさが、この比喩に宿っています。
「ケンカした後の心の隙間」という下の句が、その比喩の対象を明かします。言い合った後、謝ったとしても、あるいは謝る前であっても、心のどこかに埋まらない部分が残る——その感触が「隙間」という言葉で示されています。心を詰めようとしても、角の方にどうしても入らないものがある、という感覚が伝わります。
「立体の模型」という工作や理科の時間を思わせる日常的な素材が選ばれているところが印象的です。壮大な言葉ではなく、身の回りにある物の感触を借りて感情を描く手法は、高校生の短歌の強みのひとつと言えるでしょう。
生きるとは自分を許してあげること
鏡をそっと拭くようにして
第15回全国高校生短歌大会公式サイト(2020年)
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「生きるとは自分を許してあげること」という上の句は、定義の形をとっています。「生きるとは〜」という構文は格言に近い形ですが、その内容が「他者を許す」ではなく「自分を許す」であることが、この歌の独特の倫理観を示しています。自分を許すことを「あげる」という補助動詞で表現しているのも特徴で、許しが誰かへの贈り物であるように、自分という対象に対してそれを贈る、という構造になっています。
「鏡をそっと拭くようにして」という下の句が、自分を許す行為の質感を描きます。力を込めて磨くのではなく「そっと」拭く——優しく、傷つけないように、丁寧に。その動作が「自分を許してあげること」の比喩として機能しており、許しの行為が穏やかで継続的なものとして示されています。
「ようにして」という比況表現が、直接の描写ではなく感触を伝えることに使われています。鏡の曇りを丁寧に拭くことで自分の顔が見えてくるように、自分を許すことで自分が見えてくる、という重層的な読みも生まれます。
夢を追う心だけでも直線で
ありたいんだとペンを動かす
第16回全国高校生短歌大会公式サイト(2021年)
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「夢を追う心だけでも直線で」という上の句は、「だけでも」という限定の言葉を使うことで、すべてが直線でいられるわけではないという現実認識を前提にしています。現実は曲がり道や回り道が多い——それでも、せめて夢を追う心の向きだけは、まっすぐであり続けたいという意志が感じられます。
「ありたいんだとペンを動かす」という下の句は、その願いをペンを動かす行為に結びつけています。「ありたいんだ」という強い語気は独り言のような確認であり、それを声に出すのではなくペンで書くことで実現しようとしている——書くことで心を直線に保とうとする、という読みが生まれます。
高校1年生が詠んだ一首であることを考えると、まだ先の長い高校生活を前に、揺れやすい自分の心に向けた誓いのような言葉として響きます。「ペンを動かす」という結末は、この短歌を詠む行為そのものとも重なるようで、歌と詠む行為が二重写しになっているようにも感じられます。
部活後に手においさまったおにぎりは
感情のせて言葉をむすぶ
第19回全国高校生短歌大会公式サイト(2024年)
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「部活後に手においさまったおにぎり」という情景は、練習を終えた後の疲れた手のひらに、誰かが持ってきてくれたおにぎりが収まる場面を描いています。「においさまった」という動詞は「におさまった(収まった)」の変形で、すっぽりと手に包まれた感覚を伝えています。
「感情のせて言葉をむすぶ」という下の句に、この歌の核心があります。「むすぶ」はおにぎりを握る動作であると同時に、言葉を「結ぶ」という掛け詞として機能しています。感情をのせて言葉にする行為と、具材をのせてご飯を握る行為が重なり、おにぎりが言葉の比喩として立ち上がります。
部活後という時間の設定が効いています。試合の勝敗、練習の辛さ、チームメートへの感謝——さまざまな感情が浮かびやすいその場面で、言葉にならないことがひとつのおにぎりに託されている、というイメージが伝わってきます。
恋の予感・距離感を詠んだ高校生短歌5首
教室での何気ない一言、廊下ですれ違う瞬間、スマートフォンの画面越しに交わす言葉——高校生の恋は、接触ではなく距離の中にあることが多いものです。
好きだと言えないまま、近づこうとする緊張感。
31音の中に凝縮された、あのころの「あと一歩」を味わってください。
狂おしき宇宙の鼓動聞くきみの
陽にやけた手を握ってみれば
第8回全国高校生短歌大会公式サイト(2013年)
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「狂おしき宇宙の鼓動聞く」という出だしは、宇宙規模の音を聞くという大きなスケールのイメージから始まります。「狂おしき」という形容は激しさや圧倒される感覚を表し、宇宙の鼓動という表現は、この瞬間が日常を超えた何かであることを示しています。恋の高揚感が「宇宙の鼓動」という言葉で誇張されて、かつ詩的に表現されているように読めます。
「きみの」という語が上の句と下の句をつなぎます。宇宙の鼓動を聞くような瞬間が「きみ」の存在と結びついていることが、この位置から明かされます。「きみの陽にやけた手」という下の句の描写は、一転して非常に具体的で身体的です。
「握ってみれば」という結末の「みれば」は仮定とも過去の経験とも読めますが、「みれば」という言い方には、試みるような、おそるおそるという感覚があります。壮大な宇宙の鼓動から、日焼けした手のひらの実感へ——この落差が、恋の感覚の特徴をよく捉えているように感じられます。
まだ君は眠ってるだろう静けさの
自転車置き場は海に似ている
第10回全国高校生短歌大会公式サイト(2015年)
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「まだ君は眠ってるだろう」という上の句は、誰かの寝ている状態を想像することから始まります。「まだ」という副詞が、早い時間の設定を示唆しています。「だろう」という推量が、確認できない距離にいることを示し、その想像が空想や願いに近い性質を持っていることを示しています。
「静けさの自転車置き場は海に似ている」という下の句は、早朝の学校の自転車置き場を描いています。人気のない、自転車だけが並んでいる空間の静けさが、海の広がりに似ているという比喩は、その場所に感じる広さや開放感を伝えています。自転車が波のように並んでいるイメージもあるかもしれません。
上の句と下の句には直接のつながりが示されていませんが、並置することで、眠っている君を思いながら静かな自転車置き場に立っている主体の姿が浮かびます。君はまだ眠っていて、自分はすでに起きてここにいる——その時差と距離が、海に似た静けさの中に溶け込んでいるように読めます。
遠くまで旅にでようか前を行く
君のパスモがゾロ目を示す
第12回全国高校生短歌大会公式サイト(2017年)
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「遠くまで旅にでようか」という出だしは、唐突な呼びかけのようにも内なる独白のようにも読める始まり方です。「ようか」という語尾が提案の形をとっていますが、それが誰かに向けられているのかどうか、この時点では明かされていません。
「前を行く君のパスモがゾロ目を示す」という下の句で、場面が明かされます。改札やICカードリーダーを通る際に、パスモの残高や利用金額がゾロ目(111円、222円など)になった——それを前を歩く君の背後から目にしている主体の視線が描かれています。「ゾロ目を示す」という細部の観察は、君のことを密かに見ていることの証拠です。
「旅にでようか」という提案と「前を行く君」の後ろ姿が並置されることで、この「旅」が君と一緒に行きたい想像の旅であることが浮かび上がります。声に出さず、パスモのゾロ目というどうでもいい細部に気を取られながら、心では遠い旅を夢見ている——そのギャップが高校生の恋の奥ゆかしさを映しています。
隣席の君の寝息に気付いたら
ミュートしていく授業、雨の音
第17回全国高校生短歌大会公式サイト(2022年)
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「隣席の君の寝息に気付いたら」という上の句は、授業中に隣の席の人が眠っていることに気づく瞬間を描いています。「寝息に気付く」という表現は、視覚ではなく聴覚、あるいは気配として相手の眠りを感じ取ったことを示しています。授業中という場での細やかな注意が、この人への関心の強さを伝えます。
「ミュートしていく授業、雨の音」という下の句は、独特な構造を持っています。オンライン授業のミュート機能を使って音を消していくのか、あるいは「ミュートするように」授業の音が遠ざかっていく、という比喩なのか、複数の読み方が生じます。「授業」と「雨の音」がカンマで並置されることで、授業をミュートした後に残るのが雨の音だけだという静けさが浮かびます。
眠る君を起こさないために、あるいは守るように、音の世界を静かにしていく行為——それが言葉にされない好意の表れとして読めます。「雨の音」という自然音の残り方が、この歌に柔らかい余韻を与えています。
グミいる?と歩いてまわる教室で
君との距離をそっと確かめる
第20回全国高校生短歌大会公式サイト(2025年)
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「グミいる?と歩いてまわる教室で」という上の句は、休み時間に菓子を配って歩く場面を切り取っています。「グミいる?」という口語の問いかけは軽やかで日常的ですが、その行為が「教室を歩きまわる」理由であるという構造が、どこか計算された動きを示唆しています。
「君との距離をそっと確かめる」という下の句で、グミを配るという行為の本当の目的が明かされます。相手の席に近づく口実として、自然に振る舞いながら「そっと」距離を測っている——「そっと」という副詞が、悟られないように、静かに、という緊張感を表しています。
「確かめる」という動詞は、物理的な距離だけでなく、心の距離を測るという意味にも読めます。今日の君との距離感は昨日と同じか、少し縮まったか、遠くなったか——その微細な変化に敏感でいることが、高校生の恋の真剣さを示しているようです。
一瞬の美しさ・記憶を詠んだ高校生短歌5首
帽子の癖、夏の色、朝の空気、光と影——高校生の短歌は、しばしば消えゆくものの側に立ちます。
今この瞬間は二度と来ない、という予感が言葉を研ぎ澄ませます。2014年から2025年にわたる5首に、それぞれの時代で感じた「一瞬」が宿っています。
時間の流れを独自の比喩で捉えた5首を、ゆっくり味わってください。
気づいたら変に帽子をかぶってる
あなたがくれた最後の癖だ
第9回全国高校生短歌大会公式サイト(2014年)
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「気づいたら変に帽子をかぶってる」という上の句は、鏡を見るなどして、自分の帽子のかぶり方に気づいた瞬間を描いています。「変に」という副詞が、一般的なかぶり方ではない、どこか個性的なかぶり方をしていることを示しています。「気づいたら」という言い回しが、意識せずそうなっていたことを表し、癖の無意識性を伝えます。
「あなたがくれた最後の癖だ」という下の句で、その変なかぶり方の由来が明かされます。「あなた」という二人称が示す人物が誰であるかは書かれていませんが、「最後の」という言葉が、その関係が終わったこと、あるいはその人がもういない状況を示しています。
「癖」という言葉が重要です。言葉でも写真でも贈り物でもなく、身体に染み付いた動作のパターンとして、その人の記憶が残っている。それを「くれた」と表現することで、意図せずとも贈られたものとして受け取っている感覚が伝わります。記憶の宿り方の繊細さが、31音に静かに収められています。
モノクロの世界を反転させたひと
空の青とはこんなに青い
第13回全国高校生短歌大会公式サイト(2018年)
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「モノクロの世界を反転させたひと」という上の句は、それまでの日常が白黒に見えていたと言っています。色のない、単調で灰色に感じられていた世界を、ある「ひと」が変えた——「反転させた」という動詞が、消極的な変化ではなく、鮮やかな転換を示しています。
「空の青とはこんなに青い」という下の句は、その反転後の世界の発見を表します。「こんなに青い」という言い方は、かつても空は青かったはずなのに、今初めてそれが見えた——という感覚の描写です。同じ空を見ていても、心の状態によって見え方が変わるという体験を、「こんなに」というたった4文字で鮮やかに伝えています。
「ひと」と「青」という言葉しか情報がなく、何が起きたのかは書かれていません。それでもこの歌が伝えるのは、誰かの存在が世界の見え方を根本的に変える、という体験の鮮烈さです。過去と現在のコントラストが、「モノクロ」と「青」という色彩の対比として表れています。
朝方の空気はどこかしょっぱくて
少し黙ったあとの霧虹
第16回全国高校生短歌大会公式サイト(2021年)
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「朝方の空気はどこかしょっぱくて」という上の句は、空気という視覚も聴覚も関わらないものを「しょっぱい」という味覚・触覚の言葉で表現しています。朝の冷たく湿った空気が持つある種のリアルな感触が、「しょっぱい」という意外な形容で浮かび上がります。海沿いの土地の朝かもしれませんし、涙のあとの朝かもしれない——解釈の余地が残ります。
「少し黙ったあとの霧虹」という下の句は、沈黙という時間的な概念と、霧虹という視覚的な自然現象を結びつけています。「少し黙ったあと」というのは誰かとの会話の間なのか、一人の静けさなのか——いずれにせよ、その沈黙の後に霧虹が現れるという構造が、静けさの中にある美しさを示しています。
霧虹は霧の中に現れる白い虹で、通常の虹より淡く幻想的な現象です。朝の「しょっぱい」空気と霧虹の白さが共鳴して、この歌は特別な朝の一瞬を切り取っています。感覚の複数の通路を使って情景を作り出す技巧が、最優秀作品賞にふさわしい一首として読めます。
人間に光は描けない陰影を
教えるように差しこむ光
第19回全国高校生短歌大会公式サイト(2024年)
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「人間に光は描けない」という上の句は、絵画における光の表現に関する観察から始まります。絵の具や色で光そのものを表現することは技術的に困難であり、実際には明暗の差——陰影——によって光の存在を示します。「描けない」という断言は、人間の表現の限界を認めています。
「陰影を教えるように差しこむ光」という下の句では、光が主語として登場します。光は「陰影を教えるように」差し込む——これは、光が自分の存在を証明するために、まず影を作ることを示しています。教えるという擬人化が、光と陰影の関係に意図と方向性を与えています。
「光は描けない」と述べた後に「差しこむ光」で終わる構造は、解決のない問いのように見えながら、光の側からの返答として機能しています。人間の表現の限界と、自然のあり方の逆説が交差する、哲学的な一首です。
あの夏が再会できないものになる
「伐採予定」の札、森に立つ
第20回全国高校生短歌大会公式サイト(2025年)
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「あの夏が再会できないものになる」という上の句は、過去の夏への喪失感を述べています。「再会できないものになる」という表現は、まだなっていないが、なりつつある——という過程を示しています。完全に過去になるのではなく、これから決定的に失われていくという予感が込められています。
「『伐採予定』の札、森に立つ」という下の句は、その喪失感の比喩として機能しています。森に立てられた「伐採予定」という看板は、この森がいつか切られることを知らせています。切られてしまった後ではなく、まだ立っている木々を前にして予告を読む——この時間的な設定が、「あの夏」への感覚と重なります。
引用符付きの「伐採予定」という無機質な行政的言葉が、思い出という感情的なものと並置されることで、強い対比が生まれます。大切な記憶もいつか消えるという予感を、この札がひとこと伝えているように読めます。
高校生短歌の力を読み解く
20首を読み終えて、ひとつ気づいたことがあります。これらの歌は「青春を詠んだ短歌」として書かれているのではなく、青春の真っただ中から投げられた言葉だということです。
編集部では毎年、短歌甲子園の受賞作品に目を通していますが、高校生の短歌が持つ独特の質感について考え続けています。
その核心は「素材の鮮度」にあると思っています。
高校生が詠む「進路」「十八歳」「友の言葉」は、振り返りではなく、今まさに直面している出来事です。だから言葉に余計な処理が施されていない。
現在形で切り取ることができる。それが読む者の胸に刺さる理由のひとつでしょう。
もうひとつ、今回の20首を読んで気づいたのは、比喩の選び方に時代の感覚が宿っていることです。
「補集合」「粒子と力場」「半額シールが貼られる前に」「パスモのゾロ目」——これらの言葉は、算数や数学、交通系ICカードやコンビニという、その時代の高校生の日常から選ばれています。
短歌は古典的な形式でありながら、そこに投げ込まれる言葉は鮮烈に今の時代のものです。
短歌甲子園という舞台は、ただ上手い短歌を競うだけでなく、今この時代の高校生が何を感じ、何に言葉を費やすかを可視化する場でもあります。
今しかない言葉を、もう一度読む
2012年(第7回)から2025年(第20回)までの全国高校生短歌大会(短歌甲子園)受賞作品から、20首を4つのテーマに分けて紹介しました。
靴ひもを気にしながら進めずにいた一首、パスモのゾロ目をそっと確認した一首、グミを配りながら距離を確かめた一首——それぞれの31音に、書かれた瞬間の体温が宿っています。
高校生短歌の魅力は、過去を語るのではなく、今を生きながら詠む点にあります。読み返すたびに、どこかの教室の窓から差し込む光や、部活帰りの汗のにおいが蘇るような気がします。
短歌はひとつの感情を31音に凝縮する言葉の形です。高校生の短歌を入り口に、ぜひ短歌という世界をもう少し覗いてみてください。

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