猫好き、全員これ読んで!心をつかまれる猫の短歌24選【現代語訳つき】

猫の短歌
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ふと足もとをよぎる柔らかな影、縁側で日向ぼっこする丸い背中、闇の中で光る瞳——猫は古くから、人間のそばで暮らし、歌人たちの心を動かしてきました

この記事では、近代を代表する歌人が詠んだ猫の短歌24首を、子猫の情景・猫の仕草・季節・日常・命と別れというテーマ別に厳選してご紹介します。

100年以上前に詠まれた歌でも、猫のかわいらしさ・不思議さへの眼差しは今と変わりません。現代語訳も添えましたので、短歌初心者の方も安心して読み進めてください。

目次

愛らしくも野性的——子猫を詠んだ近代短歌5首

近代歌人が残した猫の歌のなかで、とりわけ多いのが子猫の情景を詠んだ作品です。小さな命の躍動感、ふんわりした毛並みの感触が、明治・大正の言葉でいきいきと記録されています。

母猫の大黒猫の闇に坐り
大まかに啼く子を産み落し
北原白秋
出典:『雲母集』(東雲堂書店、1915年)
現代語訳:大きな黒猫が暗がりにどっしりと座り、力強く鳴きながら子を産み落とした。
猫
「大まかに啼く」という表現が母猫の逞しさをそのまま伝えているニャ。お産の瞬間を真正面から詠んだ、力強い一首ニャン。
青梅の幹掻き立つる母の猫
仔猫は飛べる蝶を見あげぬ
北原白秋
出典:『白南風』(改造社、1934年)
現代語訳:青梅の木の幹を爪でひっかいている母猫のそばで、仔猫は飛んでいく蝶をじっと見上げている。
猫
母猫と仔猫、それぞれの視線がすれ違っているのが絵のようにきれいニャ。夏の庭の一幕がそのまま切り取られているニャン。
仔猫の蹠あかく、雪菜のうへ、
とびこえて消える、その仔猫の蹠
前田夕暮
出典:『烈風』(甲鳥書林、1943年)
現代語訳:仔猫の肉球が赤く、雪菜の上を飛び越えて消えていく——その仔猫の肉球の赤さよ。
猫
「蹠(あしうら)あかく」と繰り返すことで、仔猫の肉球への愛着がじわじわ伝わってくるニャ。視線が足元に落ちる、繊細な観察眼ニャン。
萩が根に動くこほろぎを覘ひたる
仔猫はあはれ居睡りにけり
島木赤彦
出典:『柹蔭集』(アルス、1926年)
現代語訳:萩の根元で動くコオロギを狙っていた仔猫は、ふっとかわいらしくもうとうとと居眠りをしてしまった。
猫
狩りの本能と眠気のはざまで負けてしまった仔猫、「あはれ」の一語に赤彦の笑顔が透けて見えるニャン。
紙袋かぶらされたる猫の子の
あとしさりする恋ごころかも
佐佐木信綱
出典:『新月』(春陽堂、1912年)
現代語訳:紙袋をかぶせられた猫の子が、後ずさりしながらもがいている——そのありさまは、まるで恋する心のようだ。
猫
後ずさりしながら進みたいような、あのもどかしさを猫に見た歌ニャ。「恋ごころ」という比喩が意外で、くすっと笑えるニャン。

凛とした美しさ——猫の仕草と眼差しを詠んだ近代短歌5首

猫の魅力のひとつは、計算しているかのような動作と、見透かすような瞳です。近代歌人たちはその一瞬一瞬を逃さず、猫の仕草や眼差しを鋭い言葉で切り取りました。

白き猫泣かむばかりに春ゆくと
締めつゆるめつ物をこそおもへ
北原白秋
出典:『桐の花』(東雲堂書店、1913年)
現代語訳:白い猫は泣き出しそうな様子で、春が過ぎていくことを、何かを締めたりゆるめたりするように思い悩んでいるようだ。
猫
「締めつゆるめつ」という揺れる感覚が、春の名残惜しさを体の感触で伝えているニャ。猫の情感と詠み手の情感が重なる一首ニャン。
猫の舌のうすらに紅き手ざはりの
この悲しさを知りそめにけり
斎藤茂吉
出典:『赤光』(東雲堂書店、1913年)
現代語訳:猫の舌の、うっすらと紅い、あの感触——その悲しさを、今はじめて知ったのだ。
猫
猫の舌の感触に「悲しさ」を見出す、茂吉らしい強烈な感受性ニャ。柔らかくて温かいのに、なぜか悲しい——その矛盾がじんとくるニャン。
ながき尾のさきをみつめて耳たてし
顔黒き猫の瞳のけはしさよ
前田夕暮
出典:『原生林』(新潮社、1925年)
現代語訳:長い尾の先をじっと見つめ、耳を立てて——顔の黒い猫の、その瞳の険しいこと。
猫
自分の尻尾を狙う猫の目つき、「けはし」という一語が野性の緊張感をぴたりと捉えているニャ。猫の集中力って怖いくらいニャン。
過ぎらむとするのか否か不明にて
歩道に来たる黒猫ひとつ
斎藤茂吉
出典:『寒雲』(改造社、1940年)
現代語訳:渡るつもりなのかそうでないのかわからない様子で、歩道にやってきた黒猫が一匹いる。
猫
「不明にて」という言葉が猫のマイペースぶりをそのまま表しているニャ。猫を前に戸惑う人間の滑稽さも見えてくるニャン。
猫の耳を引つぱりてみて、
にやと啼けば、
びつくりして喜ぶ子供の顔かな。
石川啄木
出典:『悲しき玩具』(東雲堂書店、1912年)
現代語訳:猫の耳を引っ張ってみたら「にゃっ」と鳴いたので、びっくりしながらも大喜びしている子どもの顔よ。
猫
啄木の3行書きが子どもの動作を映像のように切り取っているニャ。猫の反応に「びつくりして喜ぶ」顔、思い浮かべると笑顔になれるニャン。

春夏秋冬に佇む猫——季節とともに詠まれた近代短歌5首

猫は季節の気配に敏感な生き物です。縁側で春の光を浴びる猫、夏の木陰に白く光る猫、秋の夕暮れに庭を横切る猫——。近代歌人たちは猫と季節の風景を重ね合わせ、忘れられない一首を残しました。

落椿朽ちたる庭は猫の聲
よりきたるごとたそがれとなる
与謝野晶子
出典:『春泥集』(金尾文淵堂、1911年)
現代語訳:椿の花が落ちて朽ちかけた庭は、猫の声のほうから夕暮れがやってきたかのように、たそがれてゆく。
猫
猫の声が薄暗さを呼び寄せるような感覚、晶子らしい大胆な詩的飛躍ニャ。落ちた椿と夕暮れが重なって、しんとした美しさがあるニャン。
膝にねむれる兒猫のこころにも
觸れぬやう心かなしき冬の日だまり
若山牧水
出典:『砂丘』(東雲堂書店、1915年)
現代語訳:膝の上で眠っている仔猫の心にも触れないように——心の悲しみを抱えたまま、冬の日向ぼっこをしている。
猫
冬の日だまりの温かさと、孤独な悲しさ。膝の上の仔猫にさえ気持ちを打ち明けられないもの寂しさが沁みてくるニャン。
葉にあそぶ嵐のそよぎ涼しげに
白き小猫の木にのぼりたる
太田水穂
出典:『冬菜』(アルス、1927年)
現代語訳:葉を揺らしてそよぐ風が涼しい、その木に、白い小猫が登っていった。
猫
風のそよぎと白い猫の動きが一枚の絵のようニャ。「涼しげに」という感覚が視覚と皮膚感覚を同時に呼び起こすニャン。
白き猫膝に抱けばわがおもひ
音なく暮れて病むここちする
北原白秋
出典:『桐の花』(東雲堂書店、1913年)
現代語訳:白い猫を膝に抱いていると、私の思いは音もなく暮れてゆき、病んだような心地がしてくる。
猫
猫を抱いているのに「病むここち」とは、白秋らしい耽美な感覚ニャ。静けさと憂いが混ざり合う夕暮れの空気が伝わってくるニャン。
白き猫ひそけき見れば月かげの
こぼるる庭にひとり戯れぬ
北原白秋
出典:『風隠集』(改造社、1944年)
現代語訳:白い猫を静かに見ていると、月の光がこぼれる庭でひとり遊んでいる。
猫
月光と白い猫、どちらが輝いているかわからないような美しさニャ。「ひとり戯れぬ」に猫の自由さと孤高さが感じられるニャン。

歌人の家に猫がいた——日常を詠んだ近代短歌5首

明治・大正期の歌人たちも、猫と日々の暮らしをともにしていました。金魚を狙う猫、キャラメルをねだる猫、家族の争いの種になる猫——。猫を詠んだ歌には歌人の日常生活がそのまま写し取られています

猫を飼はば、
その猫がまた争ひの種となるらむ、
かなしきわが家。
石川啄木
出典:『悲しき玩具』(東雲堂書店、1912年)
現代語訳:猫を飼ったとしたら、その猫もまた家の中の争いの種になってしまうのだろう——悲しいわが家よ。
猫
3行書きの最後に「かなしきわが家」と落とす啄木節ニャ。猫への愛情と家庭不和への諦めが同時に伝わってくる、切ない一首ニャン。
葡萄色の
長椅子の上に眠りたる猫ほの白き
秋のゆふぐれ
石川啄木
出典:『一握の砂』(東雲堂書店、1910年)
現代語訳:葡萄色のソファの上で眠っている、ほの白い猫——秋の夕暮れのことだった。
猫
「葡萄色」と「ほの白き」の色の対比が鮮やかニャ。秋の夕暮れの光の中、猫が絵のように収まっている情景ニャン。
水鉢に蹲り見入る小き猫
赤き金魚のあらはれ沈む
窪田空穂
出典:『さざれ水』(春陽堂、1934年)
現代語訳:水鉢にうずくまってじっと見入っている小さな猫——赤い金魚が現れては沈む。
猫
うずくまってじっと見ている猫の姿が目に浮かぶニャ。赤い金魚が「あらはれ沈む」リズムが猫の目の動きとシンクロしているニャン。
道観に飼はるる猫はキャラメルを
今食はむとしてよろづを忘る
斎藤茂吉
出典:『連山』(白玉書房、1950年)
現代語訳:道観(中国の道教寺院)で飼われている猫は、今まさにキャラメルを食べようとして、すべてのことを忘れてしまっている。
猫
「よろづを忘る」という大げさな表現が猫のキャラメルへの集中ぶりを笑顔で伝えているニャ。茂吉が旅先で猫を愛でている姿が見えてくるニャン。
つり籠の鶉取らんと飛びかかる
あなにく小猫棒くらはせん
正岡子規
出典:『竹乃里歌』(左久良書房、1904年)
現代語訳:吊り籠のウズラを取ろうと飛びかかってくる、このにくらしい小猫め、棒でひっぱたいてやろう。
猫
「あなにく」(ああ、にくい)という古語の感嘆詞がユーモラスニャ。病床の子規がウズラを守ろうと奮闘している姿がおかしくも愛おしいニャン。

別れの歌——猫の命と死を詠んだ近代短歌4首

長く一緒に暮らした猫との別れは、古今東西、人の心を揺さぶります。近代歌人たちも猫を失ったとき、あるいは命の端に触れたとき、静かで深い悼みの歌を残しました。

やや十日餌ひし白猫 死にし後、
我があることも 生き物の如
釈迢空
出典:『倭をぐな』(角川書店、1955年)
現代語訳:十日ほど餌をやっていた白猫が死んだ後になって、自分が存在していることもまた、生き物の一つなのだ、と感じる。
猫
猫の死をきっかけに、自分も「生き物」であることに気づく——釈迢空の静かで深い視点ニャ。言葉少なに、でも胸に刺さる一首ニャン。
夕闇の穗田の中より捨て猫の
いとけなき聲聞えて止みぬ
窪田空穂
出典:『さざれ水』(春陽堂、1934年)
現代語訳:夕闇の稲穂の中から、捨て猫の幼い鳴き声が聞こえてきて、そして止んだ。
猫
「聞えて止みぬ」——この「止みぬ」の重さがずしんとくるニャ。声が消えた後の静寂に、読む者の心も沈むニャン。
燒け舟に呼べど動かぬ猫の居り
呼びつつ過ぐる人心あはれ
島木赤彦
出典:『太虗集』(岩波書店、1924年)
現代語訳:燃える船の上で呼んでも動こうとしない猫がいる——呼びながらも通り過ぎていく人々の心のあわれよ。
猫
助けられない、でも通り過ぎるしかない——「呼びつつ過ぐる」という動作に人の無力感と優しさが同時に宿っているニャン。
死んだ猫をさげし指さきに
金柑をつみてくらへどきたなしとせず
若山牧水
出典:『みなかみ』(東雲堂書店、1913年)
現代語訳:死んだ猫を提げていた指先で、金柑を摘んで食べたが、汚いとは思わなかった。
猫
「きたなしとせず」——死んだ猫に対する牧水の自然な親しみが伝わってくるニャ。いのちへの感覚が大らかで、読むと少し楽になれるニャン。

近代の猫短歌が伝えること

北原白秋・斎藤茂吉・石川啄木・与謝野晶子・若山牧水・前田夕暮・窪田空穂・釈迢空・島木赤彦・正岡子規・佐佐木信綱・太田水穂——12人の近代歌人が残した猫の短歌24首をご紹介しました。

子猫の肉球の赤さ、猫の舌の感触、月光の庭でひとり遊ぶ白い猫、死んだ猫を提げた指……。100年以上前の歌人たちが猫に向けた眼差しは、今の私たちが感じることとほとんど変わりません。旧仮名遣いの言葉をくぐると、明治・大正の暮らしの匂いとともに、猫のぬくもりが伝わってくるようです。

短歌は、日常のふとした瞬間を31音に封じ込める詩形です。愛猫の仕草を見かけたとき、ひとつ声に出して詠んでみると、暮らしのなかの小さな幸せが言葉の形で残るかもしれません。

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“短歌=むずかしい”を、ちょっと変えたい。そんな気持ちから始まったメディアです。自分の「好き」を大切に、ことばを楽しむヒントを発信中。

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