五月の山肌を染める燃えるような赤、庭の片隅でひっそりと咲く白い静けさ。
躑躅(つつじ)は日本の春から初夏にかけてごく当たり前に咲く花でありながら、近代の歌人たちが繰り返し詠みたくなる特別な存在でもありました。
この記事では、つつじを詠んだ近代短歌20首をで紹介します
当サイトでは、つつじのほかにも四季を彩る様々な花の短歌を解説していますので、あわせてお楽しみください。
赤く燃えるつつじを詠んだ近代短歌7首|丹つつじ・紅つつじの鮮烈な色彩
山の斜面を埋め尽くす紅、嵐の中でも揺れながら散らない花の塊——つつじの赤は、静かな自然の中に突然火が灯ったような印象を与えます。
近代の歌人たちはその色を「火群」「血」「丹(に)」といった強い言葉で表現しました。色彩の中に宿る生命の力強さを感じながら読み進めてください。
かたまりし丹のつつじが春あらし
吹き居る山にゆらぎて止まず
高原につつじ群れ咲く日のひかり
雲雀のこゑはみぎりひだりに
丹つつじの火群のなかに村肝の
心もえつつ一日物書く
火山灰の黑きを好み咲くつつじ
堤あるかぎりすべて紅とす
赭い山崩の露出だ、晴天の山つつじだ、
みんなとても元気だ
あかあかと山のつつじは残れども、
風吹きとよむ夏山の音
春山の楉枝の芽立ちいちじるみ
やや隱ろへる丹つつじ愛しも
白つつじの静けさを詠んだ近代短歌6首|庭の風景・清らかな美の世界
赤いつつじとは対照的に、白つつじはどこか内省的な美しさを持っています。曇り空の下でそっと揺れる白い花、古びた庭に咲き続ける清潔な色——。
白つつじが詠まれる場所には、いつも静かな時間が流れています。「つつじ 和歌」の伝統でも白という色は孤独や純粋さと結びついてきましたが、近代歌人たちはその白に、老いや時間の経過への静かな感慨を重ねました。
靜けさをうらめづらしみ白つつじ
古りたる庭に咲きつづく見る
くもり日のつめたき風にうちゆらぎ
白つつじ花庭をうづむる
草靑き長堤にさく白つつじ
見やれる老を淚ぐましむ
日おもての庭の此面の白つつじ
蕋長なれや春酣に
山かげの真間の庵の白つつじ
にほへる妹と夜を楽しめり
白つつじ一つさやかにものの音の
ながれいでたる青芝の庭
恋・感情をつつじに重ねた近代短歌7首|抒情・恋慕・哀感の名歌
つつじの花は、その鮮やかな色彩ゆえに、恋や哀しみといった人の感情と重ね合わせて詠まれることがあります。傘をさして遠ざかる人、岩陰に消えていく恋、夜のテーブルの血のような赤——。
感情を直接語らず、つつじという花に語らせる手法が、近代歌人たちの作品を奥深いものにしています。「躑躅 短歌」の世界では、花の色と形が心情の輪郭をなぞるように使われています。
たたなはる木曾の寢覺の岩つつじ
蔭にこもりて消ゆる戀かも
つつじの火はてなく匍へる山行きぬ
かかる夢のみ常に見る人
傘ふかうさして君ゆくをちかたは
うすむらさきにつつじ花さく
この憎き男たらしがつつじの花
ゆすり動かしていつまで泣くぞ
下野の那須のこほりにむらがりて
つつじ咲きにほふ心かなしも
つつじ咲く小松が岡に蕨とり
心のどにして君をしぞ思ふ
黃色なつつじもあると思ふ、この血の
ごときつつじのほかに、夜のテーブル
つつじの短歌に見る近代歌人の表現の特徴——色・感覚・感情の三層構造
ここまで20首のつつじを詠んだ近代短歌を読んできました。改めて並べてみると、近代歌人たちがつつじをどのように言葉で捉えようとしていたかに、いくつかの共通するアプローチが見えてきます。
今回の20首を読み返すと、つつじの赤を「火」「炎」「血」として捉える歌が目立ちます。太田水穂「火群のなかに」、与謝野晶子「つつじの火はてなく匍へる」、若山牧水「血のごときつつじ」——色を色のまま描かず、燃焼や生命という意味へと変換する試みが複数の歌人に見られます。赤という色が、視覚的な印象以上の何か——情熱、生命力、激しさ——を含む言葉によって表現されるとき、31音の中の密度が増すように感じられます。
斎藤茂吉「高原につつじ群れ咲く日のひかり/雲雀のこゑはみぎりひだりに」は視覚と聴覚の重なりで高原の広がりを描き、北原白秋「山かげの真間の庵の白つつじ/にほへる妹と」は視覚よりも香りを前面に出します。斎藤茂吉「那須のこほりにむらがりて/つつじ咲きにほふ」では「にほふ」という語が色の鮮やかさと香りを同時に含んでいます。感覚を一種類に絞らず重ねる手法が、短い31音に奥行きをもたらしていると考えられます。
この記事の20首を読んで感じるのは、赤いつつじと白いつつじが詩情として対照的な役割を担っているということです。赤は「生命・情熱・燃焼」と結びつく言葉の場に置かれ、白は「静けさ・老い・消えゆくもの」と結びつく場面に登場する傾向があります。釈迢空の「山のつつじの白きさびしさ」という直接的な表現が、その対称性をよく示しています。同じ花の二色が、異なる感情の器として使い分けられているのかもしれません。
また、口語と文語の混在という近代短歌ならではの特徴も、つつじの歌に現れています。
前田夕暮「みんなとても元気だ」、北原白秋「この憎き男たらしが」など、文語の文脈に口語を大胆に持ち込む試みは、明治末から昭和初期の短歌革新の空気を反映しているとも読めます。
景色や花というテーマが同じでも、言葉の選択によって歌の温度がまったく異なる——今回のつつじの歌は、そのことをよく示す20首だったと感じます。
つつじを詠んだ近代短歌20首を読み終えて
正岡子規・与謝野晶子・斎藤茂吉・北原白秋・若山牧水・窪田空穂・釈迢空・伊藤左千夫・太田水穂・中村憲吉・前田夕暮ら、明治から昭和前期の近代歌人たちが詠んだつつじの短歌20首を紹介しました。
赤く燃える丹つつじ・紅つつじの色彩、白つつじの静けさと哀感、そして恋や感情をつつじに重ねた歌——同じ花が詠む人によって、これほど多様な表情を見せることに改めて驚かされます。
街なかでも庭先でも五月になると当たり前のように咲くつつじですが、一首の短歌をそっと思い出しながら見ると、その赤や白が少し違って見えるかもしれません。近代の歌人たちが残した言葉が、百年を超えて今も花と一緒に咲いています。
つつじが告げるうららかな季節の移ろいを感じたら、ぜひ他の瑞々しい春の短歌の世界ものぞいてみてくださいね。

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