【躑躅(つつじ)の有名短歌20選】色と感情が交錯する名歌を現代語訳つきで

短歌つつじ
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五月の山肌を染める燃えるような赤、庭の片隅でひっそりと咲く白い静けさ。

躑躅(つつじ)は日本の春から初夏にかけてごく当たり前に咲く花でありながら、近代の歌人たちが繰り返し詠みたくなる特別な存在でもありました。

この記事では、つつじを詠んだ近代短歌20首をで紹介します

当サイトでは、つつじのほかにも四季を彩る様々な花の短歌を解説していますので、あわせてお楽しみください。

目次

赤く燃えるつつじを詠んだ近代短歌7首|丹つつじ・紅つつじの鮮烈な色彩

山の斜面を埋め尽くす紅、嵐の中でも揺れながら散らない花の塊——つつじの赤は、静かな自然の中に突然火が灯ったような印象を与えます。

近代の歌人たちはその色を「火群」「血」「丹(に)」といった強い言葉で表現しました。色彩の中に宿る生命の力強さを感じながら読み進めてください。

かたまりし丹のつつじが春あらし
吹き居る山にゆらぎて止まず

斎藤茂吉
出典:『小園』(角川書店、1949年)
現代語訳:塊になって咲く丹色のつつじが、春の嵐が吹きつける山の中でゆらゆらと揺れ続け、止まることがない。
猫
嵐の中でも「止まず」揺れ続けるつつじに、強さと粘り強さを感じるニャ。「丹の」という色の指定がずっしりと重みを加えているニャン。

高原につつじ群れ咲く日のひかり
雲雀のこゑはみぎりひだりに

斎藤茂吉
出典:『石泉』(岩波書店、1951年)
現代語訳:高原につつじが群れをなして咲き、日の光があふれている。雲雀の声は右へ左へと響き渡っている。
猫
つつじの群れ咲く色・光の視覚と、雲雀の声の聴覚が重なる高原の景色ニャ。「みぎりひだりに」という表現が空間の広がりをうまく伝えているニャン。

丹つつじの火群のなかに村肝の
心もえつつ一日物書く

太田水穂
出典:『双飛燕』(短歌新聞社、1951年)
現代語訳:丹つつじが炎のように群れ咲く中、心の奥底を燃やしながら一日中ものを書き続けた。
猫
「火群(ほむら)」という言葉でつつじを炎と重ね、歌人の燃えるような創作の熱と結びつけているニャン。外の赤い花と内なる情熱が呼応する、力強い一首ニャ。

火山灰の黑きを好み咲くつつじ
堤あるかぎりすべて紅とす

窪田空穂
出典:『木草と共に』(岩波書店、1964年)
現代語訳:黒い火山灰の土を好んで咲くつつじが、堤の続く限りすべてを紅色に染め上げている。
猫
黒い火山灰の大地と紅いつつじの対比が鮮やかニャ。「あるかぎりすべて紅とす」という言い回しが、どこまでも続く赤の広がりを感じさせるニャン。

赭い山崩の露出だ、晴天の山つつじだ、
みんなとても元気だ

前田夕暮
出典:『水源地帯』(新潮社、1932年)
現代語訳:赭(あかつち)色の山崩れの土が剥き出しになっている、晴れた空の下に山つつじが咲いている、何もかもがとても元気だ。
猫
「みんなとても元気だ」という口語の結句が独特で面白いニャ。山の景色を日記のような活気ある口調で詠んでいて、短歌の定型を大胆に使っているニャン。

あかあかと山のつつじは残れども、
風吹きとよむ夏山の音

釈迢空
出典:『迢空歌選』(改造社、1947年)
現代語訳:山のつつじが赤々と咲き残っているけれど、風が吹き渡って夏山の音が響きわたっている。
猫
つつじはまだ赤く咲き「残れども」、もう夏の風が来ている——季節の移ろいの切なさが「残れども」の逆接一語に宿るニャン。

春山の楉枝の芽立ちいちじるみ
やや隱ろへる丹つつじ愛しも

中村憲吉
出典:『しがらみ』(磯部甲陽堂、1924年)
現代語訳:春山の若枝の芽吹きが著しく、そのために少し隠れるようになった丹つつじが愛おしい。
猫
新緑の若葉に少し隠れた丹つつじ——目立たないからこそかえって愛おしさが募るニャ。小さな観察から生まれた繊細な一首ニャン。

白つつじの静けさを詠んだ近代短歌6首|庭の風景・清らかな美の世界

赤いつつじとは対照的に、白つつじはどこか内省的な美しさを持っています。曇り空の下でそっと揺れる白い花、古びた庭に咲き続ける清潔な色——。

白つつじが詠まれる場所には、いつも静かな時間が流れています。「つつじ 和歌」の伝統でも白という色は孤独や純粋さと結びついてきましたが、近代歌人たちはその白に、老いや時間の経過への静かな感慨を重ねました

靜けさをうらめづらしみ白つつじ
古りたる庭に咲きつづく見る

窪田空穂
出典:『鳥聲集』(東雲堂書店、1916年)
現代語訳:この静けさをかえって珍しいことと感じながら、古びた庭で白つつじが咲き続けているのをじっと見ている。
猫
「うらめづらしみ」——静かさが珍しいほど、何かざわついた日々だったのかもニャ。古い庭と白い花がそっと時間を受け止めているニャン。

くもり日のつめたき風にうちゆらぎ
白つつじ花庭をうづむる

窪田空穂
出典:『鳥聲集』(東雲堂書店、1916年)
現代語訳:曇り日の冷たい風にそっと揺られながら、白つつじの花が庭を埋め尽くしている。
猫
冷たい風と白い花の取り合わせが、ひんやりとした美しさを生み出しているニャ。「うづむる」という量感のある言葉で庭全体が白に覆われる様子が伝わるニャン。

草靑き長堤にさく白つつじ
見やれる老を淚ぐましむ

窪田空穂
出典:『去年の雪』(岩波書店、1967年)
現代語訳:青草の茂る長い堤に咲いている白つつじを、じっと眺めている老人を涙ぐましく感じさせる。
猫
白つつじを見つめる老人の姿が、そのまま一枚の絵のようニャ。花と老いと時間が静かに重なる、晩年の歌集らしい一首ニャン。

日おもての庭の此面の白つつじ
蕋長なれや春酣に

北原白秋
出典:『黒檜』(甲鳥書林、1940年)
現代語訳:日当たりのよい庭のこちら側の白つつじよ、雄しべが長く伸びていることよ、春の盛りに。
猫
「蕋(しべ)長なれや」と感嘆する細やかな観察眼が白秋らしいニャ。春の絶頂の輝きを静かに添える「春酣に」という結句が美しいニャン。

山かげの真間の庵の白つつじ
にほへる妹と夜を楽しめり

北原白秋
出典:花樫(「雀の卵」より、1928年)
現代語訳:山の陰にある真間の庵で、白つつじがほのかに映えている。その花の香りのもと、愛しい人と夜のひとときを楽しんだ。
猫
白つつじの香りが夜の静けさに溶け込んで、二人の時間をそっと包んでいるようニャ。色よりも「にほへる」という香りの描写が、夜の情感を高めているニャン。

白つつじ一つさやかにものの音の
ながれいでたる青芝の庭

太田水穂
出典:『螺鈿』(短歌至上社、1940年)
現代語訳:白つつじが一輪、清らかに咲いている。そこへ何かの音がそっと流れ出てきた青芝の庭よ。
猫
「さやかに」という清潔な形容と、音が「ながれいでたる」という表現が、静止した庭に時間が流れ込んでくる感覚を生み出しているニャ。白い花と青い芝の色彩も美しいニャン。

恋・感情をつつじに重ねた近代短歌7首|抒情・恋慕・哀感の名歌

つつじの花は、その鮮やかな色彩ゆえに、恋や哀しみといった人の感情と重ね合わせて詠まれることがあります。傘をさして遠ざかる人、岩陰に消えていく恋、夜のテーブルの血のような赤——。

感情を直接語らず、つつじという花に語らせる手法が、近代歌人たちの作品を奥深いものにしています。「躑躅 短歌」の世界では、花の色と形が心情の輪郭をなぞるように使われています

たたなはる木曾の寢覺の岩つつじ
蔭にこもりて消ゆる戀かも

伊藤左千夫
出典:左千夫全集(1911年詠)
現代語訳:幾重にも重なる木曽の寝覚の床の岩に咲く岩つつじよ、その陰にこもってひっそりと消えていく恋のように。
猫
岩の蔭に隠れるように咲き、やがて消えていく岩つつじの姿が、報われない恋の行方と重なるニャ。「蔭にこもりて消ゆる」という表現が、切なさをじんわりと伝えるニャン。

つつじの火はてなく匍へる山行きぬ
かかる夢のみ常に見る人

与謝野晶子
出典:草の夢(1922年)
現代語訳:つつじの火のようなものがどこまでも這い広がる山を歩き続ける、そんな夢ばかりをいつも見ている人よ。
猫
「つつじの火」という比喩が鮮烈ニャ。どこまでも燃え広がる炎のような山を行く夢を「常に見る人」——情熱と孤独が入り混じった気配を漂わせるニャン。

傘ふかうさして君ゆくをちかたは
うすむらさきにつつじ花さく

与謝野晶子
出典:『舞姫』(東京新詩社、1906年)
現代語訳:傘を深くさして君が遠ざかっていく、その向こうでは薄紫のつつじの花が咲いている。
猫
遠ざかっていく「君」と、その向こうに広がる薄紫のつつじ——別れの情景を直接語らず、花の色と距離感だけで描いているニャ。情感があとからじわりとくる一首ニャン。

この憎き男たらしがつつじの花
ゆすり動かしていつまで泣くぞ

北原白秋
出典:『雲母集』(易風社、1915年)
現代語訳:憎らしいこの男たらしが、つつじの花を揺すり動かしながらいつまで泣いているのだろう。
猫
口語の激しさが短歌に持ち込まれた、白秋らしい大胆な一首ニャ。つつじを揺する動作が感情の荒れ模様を直接的に伝えて、「憎き」と「泣く」の矛盾した感情が面白いニャン。

下野の那須のこほりにむらがりて
つつじ咲きにほふ心かなしも

斎藤茂吉
出典:『石泉』(岩波書店、1951年)
現代語訳:下野(しもつけ)の那須の郡に群れをなしてつつじが咲き匂っている、心がかなしい。
猫
華やかに咲き匂うつつじと、「心かなしも」という結句の落差が効いているニャ。美しいものを前にしてかえって悲しみが増す——その逆説的な感情が茂吉らしいニャン。

つつじ咲く小松が岡に蕨とり
心のどにして君をしぞ思ふ

伊藤左千夫
出典:左千夫全集(1908年詠)
現代語訳:つつじが咲く小松の生えた丘で蕨を摘みながら、心穏やかに、君のことをひたすら思っている。
猫
激しくなく、穏やかに「のどに」相手を思う——その落ち着いた恋心が春の野景色によく馴染んでいるニャ。「しぞ」という強意の助詞が、内心の深さをそっと示すニャン。

黃色なつつじもあると思ふ、この血の
ごときつつじのほかに、夜のテーブル

若山牧水
出典:『みなかみ』(前川文栄閣、1913年)
現代語訳:黄色いつつじというものもあるのだろうと思う、この血のように赤いつつじ以外に——夜のテーブルに置かれた花を見ながら。
猫
「血のごときつつじ」という言葉が鮮烈で、夜のテーブルという室内情景に不思議な緊張感を与えているニャ。ふと別の色の花を思い浮かべる夜の瞬間、牧水の感受性がにじみ出るニャン。

つつじの短歌に見る近代歌人の表現の特徴——色・感覚・感情の三層構造

ここまで20首のつつじを詠んだ近代短歌を読んできました。改めて並べてみると、近代歌人たちがつつじをどのように言葉で捉えようとしていたかに、いくつかの共通するアプローチが見えてきます

編集部コラム
● 赤を「火」と読み替える比喩の力

今回の20首を読み返すと、つつじの赤を「火」「炎」「血」として捉える歌が目立ちます。太田水穂「火群のなかに」、与謝野晶子「つつじの火はてなく匍へる」、若山牧水「血のごときつつじ」——色を色のまま描かず、燃焼や生命という意味へと変換する試みが複数の歌人に見られます。赤という色が、視覚的な印象以上の何か——情熱、生命力、激しさ——を含む言葉によって表現されるとき、31音の中の密度が増すように感じられます。

● 視覚に他の感覚を重ねる

斎藤茂吉「高原につつじ群れ咲く日のひかり/雲雀のこゑはみぎりひだりに」は視覚と聴覚の重なりで高原の広がりを描き、北原白秋「山かげの真間の庵の白つつじ/にほへる妹と」は視覚よりも香りを前面に出します。斎藤茂吉「那須のこほりにむらがりて/つつじ咲きにほふ」では「にほふ」という語が色の鮮やかさと香りを同時に含んでいます。感覚を一種類に絞らず重ねる手法が、短い31音に奥行きをもたらしていると考えられます。

● 白と赤の対称的な詩情

この記事の20首を読んで感じるのは、赤いつつじと白いつつじが詩情として対照的な役割を担っているということです。赤は「生命・情熱・燃焼」と結びつく言葉の場に置かれ、白は「静けさ・老い・消えゆくもの」と結びつく場面に登場する傾向があります。釈迢空の「山のつつじの白きさびしさ」という直接的な表現が、その対称性をよく示しています。同じ花の二色が、異なる感情の器として使い分けられているのかもしれません

また、口語と文語の混在という近代短歌ならではの特徴も、つつじの歌に現れています

前田夕暮「みんなとても元気だ」、北原白秋「この憎き男たらしが」など、文語の文脈に口語を大胆に持ち込む試みは、明治末から昭和初期の短歌革新の空気を反映しているとも読めます。

景色や花というテーマが同じでも、言葉の選択によって歌の温度がまったく異なる——今回のつつじの歌は、そのことをよく示す20首だったと感じます。

つつじを詠んだ近代短歌20首を読み終えて

正岡子規・与謝野晶子・斎藤茂吉・北原白秋・若山牧水・窪田空穂・釈迢空・伊藤左千夫・太田水穂・中村憲吉・前田夕暮ら、明治から昭和前期の近代歌人たちが詠んだつつじの短歌20首を紹介しました。

赤く燃える丹つつじ・紅つつじの色彩、白つつじの静けさと哀感、そして恋や感情をつつじに重ねた歌——同じ花が詠む人によって、これほど多様な表情を見せることに改めて驚かされます

街なかでも庭先でも五月になると当たり前のように咲くつつじですが、一首の短歌をそっと思い出しながら見ると、その赤や白が少し違って見えるかもしれません。近代の歌人たちが残した言葉が、百年を超えて今も花と一緒に咲いています。

つつじが告げるうららかな季節の移ろいを感じたら、ぜひ他の瑞々しい春の短歌の世界ものぞいてみてくださいね。

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“短歌=むずかしい”を、ちょっと変えたい。そんな気持ちから始まったメディアです。自分の「好き」を大切に、ことばを楽しむヒントを発信中。

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